おととい亡くなった祖母の葬儀に参列し
最後のお別れとお見送りをしてきました。
最後を看取った叔父の話では
おばあちゃんは2週間ほど肺炎で入院していましたが
98歳と言う年齢的なこともあり
懸命の治療を続けていましたが回復はかなわないまま
最期は苦しむこともなく
眠るように安らかに旅立って行った、とのことでした。
父も最初は自分の病状から歩行がかなり困難なこともあって
母と相談したうえで葬儀への参列は
泣く泣くあきらめていましたが、
親の葬儀に出席しないままだと
絶対後悔するぞ!うちらが連れて行くから!と
私が行くのを渋る両親の尻を叩き(笑)
夫は「妻の祖母が死去」という親族のご不幸で
特別休暇をもらえたので実家の両親や
妹を含めて葬儀が行われる京都へ一路向かい、
無事にお見送りができました。
京都の女性でありながら
その性格はまさに江戸っ子さながらでして
竹をスカっと割ったような性格。
それ故に多くの方から好かれていて
今日の葬儀でも多くの親族、多くのご友人が参列し
その人柄が偲ばれました。
もっと会いに行っておけばよかった。
最初に会った時があまりにも幼すぎて
ひいばあちゃんに会った記憶がないという長男と
会ったことすらない次男をもっともっと連れて行って。
妹の娘である高1の姪っ子に至っては訃報を聞いて
開口一言、「えっ?ひいばあちゃんっていたの??」
だったとか。
(こら妹よ、アンタはひいばあちゃんの
話しすらしてなかったんかいっ!)
大阪と京都という隣同士の府に住んでいて
近いから慌てて行かなくても
いつでも会いに行けるさ♪という気持ちが
逆に疎遠になっていたのが悔やまれてなりません。
おばあちゃんの御霊が安らかでありますようにと
これを書きつつ改めて祈ります。
そして、この祖母の死去により、年の瀬が押し迫る時期ですが
両親とともに私も喪中といたし
年始のご挨拶である年賀状の差し出しは
控えさせて頂きます。
喪中ご挨拶のはがきも今からでは遅くなってしまいますので
こういうブログでお知らせするものではないと承知しておりますが
どうぞご了承くださいませ。
最後のお別れとお見送りをしてきました。
最後を看取った叔父の話では
おばあちゃんは2週間ほど肺炎で入院していましたが
98歳と言う年齢的なこともあり
懸命の治療を続けていましたが回復はかなわないまま
最期は苦しむこともなく
眠るように安らかに旅立って行った、とのことでした。
父も最初は自分の病状から歩行がかなり困難なこともあって
母と相談したうえで葬儀への参列は
泣く泣くあきらめていましたが、
親の葬儀に出席しないままだと
絶対後悔するぞ!うちらが連れて行くから!と
私が行くのを渋る両親の尻を叩き(笑)
夫は「妻の祖母が死去」という親族のご不幸で
特別休暇をもらえたので実家の両親や
妹を含めて葬儀が行われる京都へ一路向かい、
無事にお見送りができました。
京都の女性でありながら
その性格はまさに江戸っ子さながらでして
竹をスカっと割ったような性格。
それ故に多くの方から好かれていて
今日の葬儀でも多くの親族、多くのご友人が参列し
その人柄が偲ばれました。
もっと会いに行っておけばよかった。
最初に会った時があまりにも幼すぎて
ひいばあちゃんに会った記憶がないという長男と
会ったことすらない次男をもっともっと連れて行って。
妹の娘である高1の姪っ子に至っては訃報を聞いて
開口一言、「えっ?ひいばあちゃんっていたの??」
だったとか。
(こら妹よ、アンタはひいばあちゃんの
話しすらしてなかったんかいっ!)
大阪と京都という隣同士の府に住んでいて
近いから慌てて行かなくても
いつでも会いに行けるさ♪という気持ちが
逆に疎遠になっていたのが悔やまれてなりません。
おばあちゃんの御霊が安らかでありますようにと
これを書きつつ改めて祈ります。
そして、この祖母の死去により、年の瀬が押し迫る時期ですが
両親とともに私も喪中といたし
年始のご挨拶である年賀状の差し出しは
控えさせて頂きます。
喪中ご挨拶のはがきも今からでは遅くなってしまいますので
こういうブログでお知らせするものではないと承知しておりますが
どうぞご了承くださいませ。
PR